地附山古墳群

上原きよみ
エジプトにおけるナイル川が豊かな土地を作ったように飯ズナ山から流れる浅川は地味肥える扇状地を作り出した、古代人はその流域に「居」を作った。主なもの、長野高校遺跡、吉田高校遺跡、神楽橋遺跡、駒沢遺跡にめずらしい「祭祀」を行った跡が見られた。稲田通りには「檀田」半島から渡った馬の姿をかたどった青銅製のベルトのバックル「馬型帯鉤」が出土。その豪族の長の墓が地附く山頂上の5世紀頃前方後円墳(長さ40メートル、高さ5メートル)として造られた。その後その下部に数々の古墳が作られた。しかし、「滝上山古墳群」はゴルフ場、望岳台団地造成で削られ「湯谷東古墳群」も地盤整備によってなくなっている。現在残っているのは頂上の前方後円墳と円墳が一基、花岡平に2基、故丸山公園に3基、昌禅師付近に5基。と激減した。
今一番はっきりしているのは「小丸山公園」、雑草もかられよく手入れされている。いずれも見晴らしのいい場所である。35年前この地にヂスべりが起きた。そのすぐ上に6基の古墳があったのだが、5基は毀された。
イ号古墳は、全国的にも珍しい、一つの古墳に3個の「石室」があった。その一は合掌形をしていた。これは帰化人の者。2号から土器がたくさん出土。4,5からは「鉄剣」が発見。げんざい、1500年前の古墳は木にかこわれて、ひっそりと眠っている。